承認欲求のブラックホール

 久しぶりのブログ更新である。言わずもがな、卒論で非常に忙しかったため書く暇がなかったのだ。そして今日、無事に卒論を提出することができた。7万字以上、100ページ超えというなかなかの文量になった。非常に長いので暇な時に読むことをお勧めする。

  今回のブログでは卒論の裏話というか、卒論に取り組んでいた時の私の様相について書くのであまり面白くはない。というか、ハッキリ言って暗い内容である。精神的に今日は落ち込んでますという人間は読まない方がいい。あまり読んでいて気分のいい内容ではないので、後々消す予定である。

  卒論には去年の今頃から取り組んでいたので約1年間時間を費やしたわけだが、特に精神的に参っていたのは今年の10月~12月の上旬である。オブラートに包まずに言うと、つい数週間前まで非常に精神を病んでいたし生きる気力がなかった。卒論書くのってそんなに大変なんだと思われそうだが、卒論を書くこと自体はさほど大変ではない(楽でもないし簡単でもないが)。では私は何に苦しめられたのか。ずばり、他人と自分との比較である。この思考の癖に気づいてから精神が安定したので、大方見当は合っているだろう。

  ここ2ヶ月の生活は、起床し適当に味噌汁を作って飲み、大学に行き論文を書き、食べる量が多いと眠くなり執筆に集中できなくなるので昼はチョコレートか飲み物で済ませ、また論文を書き、合間にブログを書き、晩御飯を食べてからバイトに行き、バイトから帰ってきてまたパソコンを開き執筆...の繰り返しだった(予定が入ればその都度変えてはいたが。)恐らく、ゼミの中では1番卒論の執筆は進んでいた。文量も1番多かった。それなのに、私は自分を褒めたり認めたりすることができなかった。自分と優秀な友人をひたすら比較し、自身を卑下し、先生から褒められないことを嘆き、誰からも認められない状況を恨んだ。ひどく虚しくなって、論文を書きながら何度も泣いた。こういう内容の話はあまり書きたくはないが、これが私という人間の一面でもあるので仕方ない。

  ブログを書かなくなった時期から最大級に病み始めたので、11月の下旬から12月の上旬がピークだったのだろう。夢に卒論が出るようになり、食欲が失せ始めた時期だった。ちょうどそのあたりの時期に、余裕があるなら執筆が遅れている人の面倒を見てくれと先生から頼まれた。どこをどう見て余裕があると判断したのかは知らないが、その瞬間、私の中で何かが決壊した。なぜサボってきた人間の面倒を見なければならないのか意味が分からなかった(正直今でも分からないが。)ちょうど先生からメールがきたとき、私はバスに乗っていたのだが公共の場にも関わらず、もうどうしたらいいのか分からなくなって涙が止まらなくなった。が、しかし、承認欲求の下僕と化していた私は自分の論文にも精神にも余裕が無かったのにも関わらず、褒められることを期待し、翌日には友人の論文を読み、励ましアドバイスをした。先生からは何の言葉もかけられなかった。初めて腸が煮えくり返る感覚を味わった。人をそこまで憎んだことがなかったので強烈な感覚だった。当時の私の日記を読み返すと、およそここには書くことが出来ない罵詈雑言を書き並べていたので怒り心頭だったのだろう。

  と、まあ駄文になったが、結局私は誰かに認められたかったのだ。おそらく、執筆が遅れていた人間を助けたことについて仮に褒められていたら、私も溜飲を下げていただろう。少なくとも怒り心頭、号泣しながら夜明けまで罵詈雑言を書きまくる、とまではいかなかっただろう。食欲が減退したことについても、ストレスがあったことも要因ではあるが、今振り返ると自分の体を痛めつけることで、そういった報われない状況や先生に対し、仕返しというか、私は傷ついているのだということを体現したかった節もあるのではないかと考える。体重が減ってラッキーだね(痩せたとは言ってない)という感じではあるが、己を痛めつけ、復讐的な意味合いを持った減量など虚しいだけである。

 繰り返すが、当時の私は他者から認められたり褒められたかったのだ。1度だけではなく何度も。実際、他ゼミの先生や友人から褒められたことはあった。しかし、肥大化した承認欲求はそれだけでは満たされなかった。飢えて飢えて、まるで砂漠を彷徨う旅人のように満たされることをひたすら希求していた。結局、ブラックホール同然の私の飢えは満たされることなどなかった。

  枯れ果てたのちに悟ったのは、私自身、自分と向き合っていなかったのだからそりゃ満たされないよな...ということだ。他人と比較して生きてきたため、現状の自分、というものを何ひとつ分かっていなかった。何が好きで何が嫌いで、物事はこうあるべき、自分はこうなりたい、という自分なりの信念や目標がそもそも欠如していたのだ。自分なりの生きる指針がないので他人の価値観にひたすら寄りかかり、認められることに固執し、先述したように物の見事に振り回されたというわけだ。

  ある精神科の先生が書いたブログに、自分を大切にするということは、自分に鞭を打ち駆り立てるのではなく、自分を認め、自分への信頼に基づいた欲求で生きていけるようになることだと記されていた。安直な感想だが、本当にその通りだよなと心底感じる。

  究極、承認欲求は満たされることなどない。他者から承認されたいという欲求は生きている限り大小あれどついて回るものだ。しかし、そこに固執し続けると私のように非常に痛い目に遭う。では、どうすればいいのか。結局、自分を自分で認める力を養うしかないのだ。これは甘えだとか自己陶酔ではない。むしろ自分を客観視するという点においていえば非常に現実的な方法といえる。認めるとまではいかなくとも、精神衛生上、自分を卑下することはやめたほうがいいと切に感じる。実際私がそうであったように、卑下するということは自身を客観視することの放棄と等しいからだ。放棄すると、何もかもが見えなくなる。他者から差し伸べられる優しさだとか自分を支えてくれている存在だとか、本来大切にしなければならないものが一切合切思考から消え去る。そして生きる希望が見えなくなる。自分を傷つけるような行動に走る。そこで何か学びを得て起死回生できればハッピーエンドではあるが。

  長くはなったが、私が卒論を執筆して得た学びは以上である。暗いし重いし何書いてんだか分からなくなってきたが、今回得た学びは、私の生きる指針の1つになったのは確かである。ようやく卒論から解放されたが自分の思考の癖から解放されない限り、似たような苦しみは再び生まれる。思考は年齢と共に蓄積されたものなのですぐに変えることはできない。徐々に徐々に、向き合っていくしかないのだ。

もはや子猫じゃない

   約1週間、ブログを更新していなかった。というのも、ほぼ毎日暇さえあれば卒論をやっていたからである。友人達と集まりながら執筆を進める機会が2度あったのだが、案の定お喋りに花が咲いてしまい、執筆は進まなかった。が、こうして大学生らしいことができるのもあと数ヶ月で終わりなのだ。友人達との些細な交流も大事にしていきたい。

  卒論の提出 締め切りが12月20日なのだが、個人としては11月中には終わらせたいので必死に執筆している最中である。現時点で約100ページ、約69000字(これでもかなり削減した)程度だが、恐らくもう少し増えるかと思われる。協力してくれた方にはぜひ読んで!と言いたいところだが、先述した通り非常に長い。しかも、読んでいてあまり楽しい気分になるものでもなく、どちらかというと人間の暗い部分に触れたような内容に近い。ということで、ぜひ読んで〜!とは言ったが本当に読んでもらうか否かは悩み中である(←おい。)11月中に終わらせることができ、加筆修正も無事に済んだら再び以前と同じペースでブログを書いていきたい。

  今回は子猫の現状について。「子猫」とは書いたが、1枚の写真を見て欲しい。

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  実家の母から送られてきた写真(左は先住猫、右が新入り)だが、私はこれを目にした瞬間、呆気にとられた。

こんなに大きかったっけ……?

見てのとおり、先住猫(6歳)と大して大きさが変わらないのだ。もはや子猫ではない。確か動物病院で診てもらった時は生後半年と言われたはずなのだが。

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  なんかもう別猫である。貫禄まで感じる。我が家に来てまだ2ヶ月だが、長年家猫やってます、という面構えである。

  先住猫との関係は良好仲らしい。とは言っても、母の話を聞くと新入りがベタベタくっつきにいっているような印象を受ける。恐らく野良時代に兄弟猫と過ごす期間が長かったのだろう。

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f:id:Bunbaba:20191122224529j:image(寝顔見つめてる)

  ちなみに、この新入りは人見知りをするらしい。客がくると影に隠れてしまうようだ。今日姉が久しぶり(と言っても1週間ぶり程度。)に実家に帰ったらしいのだが、姉に対しても人見知りを発揮していたらしい。おいおい絶対私のこと忘れてるじゃん、正月帰っても警戒されて終わりってことー!?と、嘆きそうになったのだが、時間が経過すると慣れるらしい。

  よく動物番組などで、飼い主のことを忘れずに待っていたとか命の恩人のことをずっと覚えていたとか、そういう類の感動的エピソードが放送されるが、我が家の猫達とはどうやら無縁らしい。なんだか複雑である。

  まぁ、健康に長生きしてくれればそれでいいのだ。正月休みが楽しみである。

 

あの青春の.12

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 先日、友人の母親からお菓子を頂いたのだが非常に包装が可愛かった。1つずつ、大事に食べていくつもりである。

 一昨日、私はまた台所に立っていた。そう、料理をするために。今回は油揚げの中に卵を入れて爪楊枝で閉じ、フライパンで焼き目をつけ最後に醤油と砂糖と水で煮詰める、という料理に挑戦した。焼き目をつけた後に醤油と味噌(砂糖がなかったから代用。)を混ぜたタレを投入したのだが、もんのすごい勢いでタレが爆ぜて蒸発した。尋常じゃないくらい爆ぜたせいで、あっという間にIHの周りが茶色に染まったのに加え、私は指を火傷した。

 蒸発してしまったので煮詰めることすらできなかった。おまけに蒸気で眼鏡が曇って視界が奪われ、ようやく視界が晴れたと思ったら、フライパンの上には発がん性物質のようなものが出来上がっていた。

「考案者やべえ奴じゃん」と思いながらレシピを読み返したら、水を入れ忘れていたのが判明した。やべえ奴は私の方だった。

 そして今日、再び台所に立ち今度はササミを茹でることに挑戦した。またササミ!?と突っ込まれそうだが、今回は一味違う。友人から液塩麹にササミを漬けて調理すると美味くなるとの話を聞いたので、昨日の夜から仕込んでいたのだ。

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 大成功である。非常に美味しく出来上がった。もっとしょっぱいイメージがあったのだが、とても優しい甘みがあった。また作る予定である。友人には感謝しかない。

 

さて、今回は二つ程。

「10/10 今日、杏にん豆ふを姉と食べてました。姉が腹が立つようなことを言ってきたので、一発腹を殴ったら、あんにんどうふ…吐きやがった……

なにこの姉妹。

 当時私達姉妹は杏仁豆腐にハマっていた。スーパーで売られている安いやつだったのだが非常に美味しくて、今でもスーパーで見かける度によく食べていたことを思い出す。

 そんなことよりも、だ。実の姉の腹部を殴るとは何事か。凶暴すぎる。不良の道に片足を踏み入れてるようなものである。自分がしたこととは思えないし信じたくないが、腹を殴ったのは覚えているし、姉の口から杏仁豆腐が出てきたのも覚えている。どういった経緯でそうなったかは覚えてないが、じゃれ合うつもりで軽く小突くつもりが、うっかりみぞおちにでも入ってしまったのだろう(そうだと信じたい。)

いずれにせよ、弁解の余地はない。姉と、姉の口から出された杏仁豆腐には申し訳なさしかない。

 

「10/12 今日は、テストの日でしたぁ〜〜〜。メッチャつかれましTA。でも、ホッ…としましTA。NANKA、メチャクチャ、スカッとしました。晩ごはんは、スパゲッティーでしたらこ。ふつうでしたんたんメン。明日もいいことがありますようかどー。

 これを書いたのが自分だとは到底信じたくない。非常に情けないやら腹が立つやら、しかも最後の「ようかどー」の部分が無理矢理なのも意味が分からない。もっと他にあっただろ。

 テストで疲れたとは書いているが、疲れたからといって何を書いてもいい訳ではない。怒られなかったのが奇跡である。

 たかがテストの疲労で頭のネジ2.3本抜け落ちているようじゃこの先やっていけんぞ!!!と、昔の自分に言いたいところだが、正直、元から頭のネジは抜けているのでテスト云々は関係ない。今回の日記は、たまたまそれがモロに表出しただけの話である。

 ネジを埋めるためにも、私は明日も明後日も、台所に立ち続ける。

あの青春の.11

 昨日、私のブログを読んだ友人から連絡が来て、ささみはレンジでやるよりもラップで巻いて沸騰したお湯に入れ15分程放置したら良い、とのアドバイスをもらった。

 ということで、今朝早速リベンジをしてささみを調理してみた。とりあえず火を通して食べられる状態にするのが目標だったため、前回のように大葉やチーズは巻かなかった。ちゃんと火を止めてから投入することを念頭に入れながら、ラップでグルグルに巻いたささみを湧いた湯に投入し私はそのまま大学に出向いた。15分放置してもよいなら何時間放置しても問題はないだろうという判断の元、私はささみを部屋に取り残し(勿論火は止めた。)大学で卒論を書いた。

 昼頃になり、ささみの様子が気になったため部屋に戻ってささみをお湯から救出した。ラップを外すと、なんとささみの御姿はピンク色、冷蔵庫から出した時となんら変わらない姿でラップの上に横たわっていた。つまり火が通っていなかったのだ。えっ!?なんでなんで!?とプチパニックに陥り、友人から来たLINEを注意深く読み見返すと、

「蓋をして」

と書かれていた。

 そう、私は蓋をしない状態でささみを放置したのだ。冷静に考えたらお湯の熱さで肉に火を通しているので蓋をしなければすぐにお湯は冷めてしまう。そんな当たり前なことにも気が付かず、丁寧に書かれたアドバイスの重要なポイントにも気がつけない自分のポンコツさを再び噛み締めた。

 が、ここでめげないところが私の長所で、その後また再び挑戦したら成功した。非常に美味いささみとなった。友人よありがとう。この前犠牲になったささみ達も仲間が美味しく仕上がったことで無事成仏されただろう。さて、今回は3つほど。

 

「10/6 今日、ちんすこうを食べました。めちゃくちゃ美味しかったです。とくに、紅味がおいしかったです。沖縄に行ってみたいです。」

確か、お土産で貰ったちんすこうだった気がする。紅芋味を紅味と書き間違えているが、まぁ致し方ない、いつも通りぼんやりしながら書いていたのだろう。ちなみに今でもちんすこうは大好きである。

 そして今年の夏、初めて沖縄に旅行に行ったのだが非常に楽しかった。そしてほんっっっっとうに暑かった。レンタカーで移動していたのだが、食べ物をテイクアウトするために駐車場に数分間車を停め、戻ってきた時には車内がほぼサウナ状態だった。美ら海水族館にも行ったのだが、予想以上に広かったのと人が多かったのが印象的だった。またいつか、今度は私の運転で沖縄を駆け回りたい。

 

「10/7 今日はー…。たしか、またちんすこうを食べたような気がします…。黒糖…だったような…。気が…。とにかく美味しかったので、よかったです。」

なんだか全体的に曖昧である。またちんすこうを食べていたのか。

「10/8 今日はアルトリコーダーを…ってあれ?今日は休み…ですかね…?あっ!!思い出した!!今日練習試合だったんだ!!いや〜すごく楽しかったです!!うん、すごく楽しかった!!

まさかのまとめ書きである。

 ちなみに、これを読んだ先生のコメントは『まさかまとめ書き…-_-』だったので、明らかに気が付かれている。なぜまとめて書いたのが明らかに分かるような書き方をしたのだろうか。バレない自信があったのだろうか。だとしたら相当の大馬鹿者である。

 推測するに、土日を挟んでいたので金曜日の分も溜めてから一気に書いたのだろう。夏休みの課題で出される三行日記も私はよく溜めて適当に書いていた。ありがちなやつだが、大抵夏休みに出される日記は、天気や気温を記入する欄がある。勿論それもかなり適当だった。

 大人になったら誰も怒ってはくれないと言うが、私個人としては、子供の頃から親や教師から怒られる機会(部活は除いて。)があまりなかった。私以上に手がかかる輩がいたのも一因ではあるが、こうして読み返してみるとそもそもがポンコツ過ぎて見放されていた説もある。

 そんなポンコツでもこうして苦手な料理に挑戦して美味いささみを作れるようになるのだから人間捨てたものではない。まだまだ私にも成長の伸びしろはある。誰にも認められずとも。

ささみとは(閲覧注意)

 私は料理が苦手である。正直に書くと味噌汁すらうまく作れない。母が働いていて家にいないときは姉がご飯を作ってくれていたのと、高校・大学では寮に入っていたのでご飯は寮母さんが作ってくれていた。つまり、自分で作らなければならないという状況が一度もなかったのだ。もちろん365日食事が一方的に提供されるわけではなかったのだが、ご飯が作られないときは適当にコンビニで済ませていた。親の甘さと時代の便利さが生んだ悲しきポンコツ、それが私である。

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(姉が作った柿のケーキ)

 ちなみに言うと、次女はかなり料理がうまい。基本的な料理は勿論、お菓子作りも大層上手い。本当に同じ親から産まれてきたのか若干疑わしい。

 今回のブログでは、女性だから料理ができなければならないだとか男性だから作らなくていいとか、そんな時代錯誤なことを言いたいわけではない。むしろこのご時世、男女問わず料理が苦手、一切できないという人間は特段珍しくもないだろう。苦手なら苦手なりに、金を払って私のように第三者に任せるだとか色々な手段はある。したがって、料理が下手な人や普段作らない人を非難するだとか、頑張って料理しようぜ!!みたいな押し付けをするような内容ではない。

 事の成り行きは、本当に気まぐれだった。昨日の夜、ふと料理でも作ってみるか、と思った。何かに触発されたわけでもなく、頭にかすめた気まぐれが私を突き動かした。そして今日に至るわけだが、初心者中の初心者なので簡単にできるものを作ろうという至極真っ当な考えのもと、レンジでチンすればできる料理のレシピを検索した。

 そして犠牲者(正しくは食だが。)として選ばれたのが、ささみ梅チーズ巻きである。ささみを観音開きにして叩き、そこに梅肉(スーパーで買ったらめちゃくちゃ高かった。)と大葉とプロセスチーズを置き、ラップでくるくる巻いてレンジで3分温めて出来上がり、なんとも簡単な作り方である。

 まず私は観音開きがうまくできなかった。というかやり方すら知らなかった。こういう時こそGoogleだろと思うだろうが、ささみと触れ合った瞬間にハッと気づいたので手がべたついてスマホをいじることができなかった。このような場面で手を洗うことを面倒くさがる時点で色々と終わっているのだが、私は手が濡れることがそもそも好きではない。(好きな人がいるのか分からないが。)だから気まぐれで料理をするときはかなりの頻度でペーパータオルや布巾で手を拭っている。

 生ものに触れた手でスマホをいじるとなると念入りに手を洗わなければならない。そしてまた再びササミに触れる。そしてまた手を洗う。その過程が本当に億劫だったのだ。あくまで予想なのだが、料理が下手な人はこのような傾向があるような気がする。

 話は戻るが、観音開きという言葉は知っていたので、なんか開いてる感じにすればいいんだろうと思い適当に真っ直ぐ切り込みを入れ、うまく開けなかった部分は指で裂いた。適当にパシパシ包丁でささみを叩き、チーズと大葉、高い梅肉を載せ巻いたのだが、ささみが平たくなっていなかったのかうまく巻けなかった。まあなんとかなるか、と思い無理やりラップで包み、6分温めた。

 これは本当にケアレスミスだった。というか、なぜか途中から6分だと思い込んでいた。そんな大層なミスを犯しているなどとは露知らず、呑気に洗い物をしていたのだが、数分後、なんだかレンジから異音が聞こえてきた。チラッと中を見ると、異様な光景が広がっていたため、慌てて開けたのだがそこにはささみ梅チーズ巻きなど存在していなかった。

 私が作ったのは確かにささみ梅チーズ巻きだったのだ。そこに間違いはない。現に、材料は先述した通り、ささみと高い高い梅肉とプロセスチーズ、大葉しか使っていない。

 以下に衝撃的な写真を貼るので気分が悪い人、体調が優れない人は本当に見ない方がいい。冗談抜きで心身への負担がかかる。写真を撮った私自身、フォルダに入れておくのが心的負担だったのでここに貼り付けた後、すぐさま消去した。今日はなんだかイマイチ体調が…という人は私の作ったささみ梅チーズ巻き(だった物)でトドメを喰らうことになるので体調が良い時に見て欲しい。あとグロテスクなものが苦手な人も、ご遠慮いただきたい。これで気分が悪くなられても私はなんの責任も取れない。自己責任で見て欲しい。

 何度でもいうが、私が作ったのはささみ梅チーズ巻きである。

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 気分が悪くなったと言われても私は責任が取れない。食べられない状態だったので泣く泣く廃棄した時に外で撮った写真なのだが、もはや石といっても過言ではないくらい固いのだ。何度も言うが、これはささみ梅チーズ巻きである。

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 これは次女が作ったパンである。ジャムは柿を使って作ったらしい。

 このように、人間には得て不得手がある。冒頭でも述べたように、苦手ならばそれをうまく回避するような手段を取るべきである。だが、最低限、という言葉があるように、一般常識としてクリアしなければならないものもある。

 では、料理における最低限度の一般常識とは。それは食材を無駄にしないことである。私は今回身をもってそれを痛感した。

 上達に必要なのは失敗と、失敗してもめげない精神、積み重ねである。ここで投げ出してはまた第二の犠牲食材が生まれてしまう。私は今後も地道に料理を続けていく予定である。

あの青春の.10

 この前のブログに書いた、自分の土産用に買ったチョコレートを食べたのだが非常に美味しかった。店にいた子供が「駄菓子の味」と言っていた理由が分からなくもなかったが、個人的には大満足だった。

 

「9/28 今日、ばんごはんがハンバーグでした。ソースをかけずに食ったら吐きそうになりました。なんと中身が生だったのです。姉が「肉は生でも食べられるんだよー」と言ったのでソースをかけたら大丈夫でした。やっぱりソースっていろんなところで必要なんですね…。ソース、なめてました…。」

ソースを過信しすぎである。

生で食べても平気なのは大抵高級なやつである。当時の我が家は庶民だったので(今もだが。)肉に金をかけている余裕はなかった。例の生焼けハンバーグに使われている肉も勿論スーパーで買ってきた安い肉である。ソースをかけたら大丈夫だったとは書いてあるが、それは体が丈夫だったことと運が良かったことで成り立っているのであって、大抵の人なら腹を壊すのが一般的である。

 果てしなくどうでもいいが、私は大学生になるまでハンバーグやトンカツ、揚げ物にソースをかけるのがあまり好きではなかった。素材の味が分からなくなるというか、ソースをかけたらエビフライだろうがササミフライであろうが「the ソース!!」という感じの味に染まるのが苦手だったのだ。が、大学生になりソースの良さにようやく気づき、かけることに抵抗が無くなった。まさに成長である。

 

「10/2 今日、飼っていたハムスターが死にました。いつもバカみたいに回し車で走っていたのに…。あっという間に…。」

「…」などとつけて悲しさを表現しようとしているが、騙されてはいけない。これを書いた張本人だからこそ分かるのだが、当時の私は悲しんでなどいない。悲しみというより、若干の反省を抱いていると言った方が正しい。とんだサイコパス野郎だが、当時の私は命の重さを知らなかったのである。

 私が小学生の頃から、ハムスターを飼うのが我が家の習慣となっていた。死んではまた新たなハムスターを飼う、という流れだったので恐らく通算で5.6匹飼ったはずである。多頭飼いは一度もしなかった。

 姉が学校からもらってきたのが全ての始まりで、そのハムスターが大層人懐こくて可愛かったのだ。家族総出で可愛がった。このハムスターは確か3年くらい生きたような気がする。死んでしまった時は、母も姉も、もちろん私も泣いた。次に飼ったハムスターも、人の手の上で寝たりするくらいには私達に懐いていた。脱走してしまった日には涙ぐみながら必死に探し、見つけた時には祭りの如く騒いで喜んだ。という風に、代々のハムスターは可愛がられてきたわけである。

 先述したハムスターは、確か小学校六年生の時に私が飼いたいと駄々をこねて飼ったハムスターだった。最初こそは可愛がっていたが、このハムスターは先代とは異なり、あまり人に懐かなかった。私が中学生になってからは部活やらテスト勉強やらで忙しくなり、世話をサボるようになった。無論、代わりに世話をしていたのは母だった。そしてあまり長生きせずに亡くなってしまったわけだが、亡くなった当時は悲しみよりも、私はもう動物を飼わない方がいいのかもなぁ…といった漠然とした反省の方が大きかった。この件以来、我が家ではハムスターを飼わなくなったのだが、今こうして振り返ると本当に可哀想なことをしてしまったなと感じる。

 よく情操教育の一環で動物を飼う家庭などがいるが、正直言ってあまり賛同できない。私自身がそうであったように、責任を持って育てることができない人間には情操もクソもへったくれもないのだ。そもそも、小学生や中学生で責任を持って飼うというのには限界がある。なぜなら大抵、病院に行くお金や餌代の大半は親が払っているからだ。可愛がって育てることや死に直面することも成長の一環にはなるとは思うが、育てるための費用やそれを稼ぐための労力を知るようになって初めて、命の重みを知ることができると私は考える。

 

「10/6 今日、水戸黄門を見ました。なんか、おもしろかったです。なんかいきなり、出てきて「おだまりなさい」っていたところが一番ウケました。おだまりなさいって…。ツ、ツボる…。吹きだしてしまいました。」

時代劇なめてるだろ。

「いきなり出てきて」と書いてるあたり、恐らくストーリーを1ミリも理解していなかったのだろう。しかも黄門様が叱責するシーンで笑いのツボにはいるあたり、感性が狂っている。

 プリキュアセーラームーン、〇〇レンジャーといった戦隊ものなども、なんとなく面白い、可愛い、暇つぶし、といった感覚で見ていたような記憶がある。この歳になって気がついたのだが、上記のものは意外とストーリー性があり、設定もかなり凝って作られているものが多い。見返したら、かなり面白いと感じるのではないだろうか。自分の情操が育つ可能性も高い。

 その前に卒論を終わらせなければならないのだが。

 

あの青春の.9

 いい感じのところまで話が進んでいた物件が、諸事情で契約できずにまた振り出しに戻ってしまった。かなり条件が良いところだったので若干凹んだが、致し方ないことなので次回に期待する。今回は3つほど。

 

「9/16 今日もお茶漬け、昨日もお茶漬け、一昨日もお茶漬け、その前の日も…。我が家の朝ごはんは、1週間ほど前からなぜかお茶漬けです。毎朝毎朝出されるとさすがにあきてくる…。」

 これに関しては若干覚えている。一時期やたらお茶漬けが我が家の朝食として頻繁に登場していたのだ。1週間も連続で出されたりなんかしたら飽きるのは当たり前である。そもそも提供していた母親は何を考えていたのだろうか。仕事が忙しかったこともあるだろうが、トーストやふりかけご飯を挟む余地はあったのではないだろうか。これはあくまで憶測だが、恐らく私か姉が初日にお茶漬けが出された時に「お茶漬け美味しい。」と言ったのではないだろうか。私の母は「これ美味しい」というと、やたらその料理を大量に作ったり勧めてきたりする傾向があるのだ。良い例がわらび餅である。私はわらび餅が大好物だったのだが、それを知った母が、出かけた先でわらび餅を見かける度に「わらび餅買わなくていいの( ^ω^)?」と頻繁に聞いてくるようになった。姉もふざけて便乗して聞いてくるようになった。聞かれる頻度が尋常じゃなかったため、否応がなしに出掛け先でわらび餅を意識する機会が増え、私は好物を一つ失った。母の前で好物の話をするのは控えたほうがいいのかもしれない。

 

「9/24 今日は風が強かったでーす。さむかったでーす。少し、のどが痛いでーす。」

適当すぎる。

風邪ひいてるし。

たった2行だけでしかもこの有様。他に書くことが微塵も思いつかなかったのが手に取るように分かる。とりあえず語尾を伸ばすことで少しでも字数を稼ぎたかったのだろう、全く功をなしてないが。むしろよく怒られなかったなと感じる。昔の体育会系の教師なら張り手の一発くらい喰らわせてきそうな文章だが、当時の担任だった先生は、若いながらも生徒の目線に立って考えたり、話を聞いてくださる先生だったため、大目に見てくれたのだろう。

 振り返ると、この担任からは一方的に何かを決めつけられたり、理不尽に叱責されたことは一度もなかった気がする。子供だから、という理由で見下されたこともなかった。そしてどんな些細なことであろうとも、くだらないことであろうとも時間を割いて親身に相談に乗ってくださった。それがどれだけすごいことなのか、当時の私は微塵も分かっていなかったのだ。

 先生の偉大さというのは月日を経て初めて分かるもので、哀しいかな、こうして気づいた時にはもうお礼を伝えたくても伝えられない距離と、埋め合わせができないような月日が流れているものである。

 

「9/26 今日、フロに入ったついでに足のムダ毛をシャッシャとそっていました。気がつくと、両足がなぜか流血。ビビった…。どうやらカミソリで切ってしまっていたようです…。こわ…。」

恥の概念が皆無だったのだろうか。

ムダ毛を剃った旨を学校の日記に書く奴などどこを探してもいないだろう。怖いのは貴様のスッカラカンな羞恥心である。「シャッシャッ」などとリズミカルな擬音をつけているのが腹立たしい。中学生といえば所謂思春期という発達段階にいるはずなのだが、そういった時期に抱く特有の恥ずかしさというものをどうやら当時の私は持ち合わせていなかったらしい。これを読んだ先生のコメントが、「髭を剃った時もたまに血が出るよ」みたいな感じだったのだが、足の毛と髭とでは、事情が違うような気がするのだが。無駄な毛という点では同列ではあるが。というか、日記にこんなことを書くなと一発くらい叱ってやってほしい。

 信じられない話だが、先生はこのトンチンカンな日記を褒めてくださったことがある。確か印刷されて毎日のお便りだかなんだかに載せられたような気もする。なにがそんなに良かったのか未だに理由は分からないが、自分の書いた文章を誰かに褒められたり認められたしたのはそれが初めてだった。小学生の時に作文コンクールに出して賞を受賞したこともあったにはあったが、それは受賞するために加筆修正がなされた文章で私の書きたい文章とは違ったのだ。コンクールに出された文章とは比べものにならないくらい、この日記の文章は支離滅裂で訳が分からないことだらけだが、当時の私が書きたい文章であったことには違いない。そこに確かな価値を見つけてくださったのは先生だったのだ。だから私は今もこうして自由気ままに文章を書くことをやめられないのだろう。