湿布

  実はあと1時間後に卒論の中間発表がある。発表スタイルはパワーポイントを使いながら作成したレジュメに沿って、教授とその他の生徒を前に説明していく感じなのだが、なんとまあ制限時間が10分なのだ。実際に一度通しで発表してみたところ、余裕で10分を超えてしまったため、スライドの修正をして時間を計りながら練習していたのだが、私の声はそこそこ大きくしかも調節が効かないポンコツ声帯なので隣人から苦情がくるまえに辞めた。うまくいくことを祈っていてほしい。

 今回のブログは毎日の記録シリーズのうちに入るが、今現在私は大学にいて手元に日記が無いため記憶を手繰り寄せて書く。そんなことより発表練習しろよと言われそうだが、なんだかもういいかな(何も良くないが。)という気分なので書く。

 今現在もだが私は昔から非常に肩や首が凝りやすい。恐らく、姿勢の悪さが最大の原因ではあるが長年の積み重ねで作られた癖をそう簡単に治すことはできない。

 中学生の時、あまりにも首が痛すぎて湿布を貼って登校をしたことがあった。普段眠くて仕方ないくせに、その日だけは湿布の強烈な匂いが鼻腔を刺激し、脳みそが覚醒していたような覚えがある。たしかその頃、文化祭の催しの一つである「全校合唱」の為に、授業を一つ費やして全学年合同で合唱練習をしていた時期だった。

 真面目に歌うのが格好悪いと思春期特有の勘違いをし、だからといって不良にもなり切れない中途半端で愚鈍な輩が悪目立ちするあの合唱練習である。こういう時に限って、絆がだとか団結力が、とか垂れる奴らがいるが、そんな一時の為だけに培われた絆なんて砂で作った城より脆いもので、卒業式の時も成人式の時も全員揃わなかったことがそれを明確に表している。

 そんなことはさておき、湿布を首につけた状態で合唱練習へと向かったわけであるが、歌い終ってステージを降り、音楽の先生の評価をアホ面下げて聞いている最中、ふと手を首のあたりに伸ばした瞬間、私は焦った。湿布がないのである。

 私は思考をフル回転させた。朝から貼りっぱなしだったため、たしかに若干粘着力は落ちていたような気もする。もしや制服とシャツの間に張り付いてしまったのかと背中やら腹部を探ってみたが無い。どこにも無い。

 ここまでくると、そもそも朝に湿布を貼ったのは幻だったのだろうか…という気すらしてくる。そもそも湿布を落としたくらいでは誰も困らない。財布を落としたのに比べたら精神的ダメージなどほぼ皆無だ。最初は焦っていたものの段々どうでも良くなり、湿布もどこかで元気にやってるさと呑気な思考に変わった。

  我が中学校の合唱練習は、何度も何度も何度も馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返し歌うことが基本的な練習スタイルだったので、しつこさでいったら怪しい宗教勧誘のそれと良い勝負である。歌詞が思考を侵食し、もう湿布のことなど頭の片隅にすらない。

 チャイムが鳴り、合唱練習が終わった。体育館から出ようと歩いていた最中、ピアノを片付けようとしていた教師が何かに足を滑らせていたのが視界にふと入った。何か落ちていたのだろうか、とボンヤリと見ていたのだが、教師がそれをつまみ上げた瞬間、私は自分の目を疑った。なんで体育館に湿布???

 不意打ちのおかしさに、隣を歩いていた友達に伝えようとした瞬間、私の脳は電光石火の如く閃いた。

それ私のだ(  ˙-˙  )

  つまり教師が転けたのは私の湿布が原因だったのだ。先程まで自分の首に貼ってあった湿布が、まさかバナナの皮ような役割を果たすなど夢にも思わなかった。

 滑った教師が怒って湿布の持ち主を探そうとするのではないかと内心ヒヤヒヤしながら教師の動向を注意深く見つめた。仮に犯人探しをされたところで、クタクタな湿布の持ち主として名乗り上げるつもりなど毛頭無かったが。

 その後、特に教師は犯人を探すわけでもなく淡々とゴミ箱に捨てていたので私は非常にホッとした。何より、教師が怪我をしなかったことが本当に良かった。転んだ拍子に頭を派手にぶつけられたりなんかしたら、罪悪感に苛まれて晩ご飯の後のデザートがお腹に入らない。

 ちなみに私は中学卒業以降、湿布は貼らないようにしている。また誰かが私の湿布の餌食になってしまうのが怖いから……ではなく、単純に湿布を剥がすときが非常に痛いのと皮膚が赤くなってしまうからだ。

 だが最近、肩や首の痛みが徐々に悪化してきている。誰か安価で剥がしやすい湿布を教えてほしい。