あの青春の.10

 この前のブログに書いた、自分の土産用に買ったチョコレートを食べたのだが非常に美味しかった。店にいた子供が「駄菓子の味」と言っていた理由が分からなくもなかったが、個人的には大満足だった。

 

「9/28 今日、ばんごはんがハンバーグでした。ソースをかけずに食ったら吐きそうになりました。なんと中身が生だったのです。姉が「肉は生でも食べられるんだよー」と言ったのでソースをかけたら大丈夫でした。やっぱりソースっていろんなところで必要なんですね…。ソース、なめてました…。」

ソースを過信しすぎである。

生で食べても平気なのは大抵高級なやつである。当時の我が家は庶民だったので(今もだが。)肉に金をかけている余裕はなかった。例の生焼けハンバーグに使われている肉も勿論スーパーで買ってきた安い肉である。ソースをかけたら大丈夫だったとは書いてあるが、それは体が丈夫だったことと運が良かったことで成り立っているのであって、大抵の人なら腹を壊すのが一般的である。

 果てしなくどうでもいいが、私は大学生になるまでハンバーグやトンカツ、揚げ物にソースをかけるのがあまり好きではなかった。素材の味が分からなくなるというか、ソースをかけたらエビフライだろうがササミフライであろうが「the ソース!!」という感じの味に染まるのが苦手だったのだ。が、大学生になりソースの良さにようやく気づき、かけることに抵抗が無くなった。まさに成長である。

 

「10/2 今日、飼っていたハムスターが死にました。いつもバカみたいに回し車で走っていたのに…。あっという間に…。」

「…」などとつけて悲しさを表現しようとしているが、騙されてはいけない。これを書いた張本人だからこそ分かるのだが、当時の私は悲しんでなどいない。悲しみというより、若干の反省を抱いていると言った方が正しい。とんだサイコパス野郎だが、当時の私は命の重さを知らなかったのである。

 私が小学生の頃から、ハムスターを飼うのが我が家の習慣となっていた。死んではまた新たなハムスターを飼う、という流れだったので恐らく通算で5.6匹飼ったはずである。多頭飼いは一度もしなかった。

 姉が学校からもらってきたのが全ての始まりで、そのハムスターが大層人懐こくて可愛かったのだ。家族総出で可愛がった。このハムスターは確か3年くらい生きたような気がする。死んでしまった時は、母も姉も、もちろん私も泣いた。次に飼ったハムスターも、人の手の上で寝たりするくらいには私達に懐いていた。脱走してしまった日には涙ぐみながら必死に探し、見つけた時には祭りの如く騒いで喜んだ。という風に、代々のハムスターは可愛がられてきたわけである。

 先述したハムスターは、確か小学校六年生の時に私が飼いたいと駄々をこねて飼ったハムスターだった。最初こそは可愛がっていたが、このハムスターは先代とは異なり、あまり人に懐かなかった。私が中学生になってからは部活やらテスト勉強やらで忙しくなり、世話をサボるようになった。無論、代わりに世話をしていたのは母だった。そしてあまり長生きせずに亡くなってしまったわけだが、亡くなった当時は悲しみよりも、私はもう動物を飼わない方がいいのかもなぁ…といった漠然とした反省の方が大きかった。この件以来、我が家ではハムスターを飼わなくなったのだが、今こうして振り返ると本当に可哀想なことをしてしまったなと感じる。

 よく情操教育の一環で動物を飼う家庭などがいるが、正直言ってあまり賛同できない。私自身がそうであったように、責任を持って育てることができない人間には情操もクソもへったくれもないのだ。そもそも、小学生や中学生で責任を持って飼うというのには限界がある。なぜなら大抵、病院に行くお金や餌代の大半は親が払っているからだ。可愛がって育てることや死に直面することも成長の一環にはなるとは思うが、育てるための費用やそれを稼ぐための労力を知るようになって初めて、命の重みを知ることができると私は考える。

 

「10/6 今日、水戸黄門を見ました。なんか、おもしろかったです。なんかいきなり、出てきて「おだまりなさい」っていたところが一番ウケました。おだまりなさいって…。ツ、ツボる…。吹きだしてしまいました。」

時代劇なめてるだろ。

「いきなり出てきて」と書いてるあたり、恐らくストーリーを1ミリも理解していなかったのだろう。しかも黄門様が叱責するシーンで笑いのツボにはいるあたり、感性が狂っている。

 プリキュアセーラームーン、〇〇レンジャーといった戦隊ものなども、なんとなく面白い、可愛い、暇つぶし、といった感覚で見ていたような記憶がある。この歳になって気がついたのだが、上記のものは意外とストーリー性があり、設定もかなり凝って作られているものが多い。見返したら、かなり面白いと感じるのではないだろうか。自分の情操が育つ可能性も高い。

 その前に卒論を終わらせなければならないのだが。