あの青春の.9

 いい感じのところまで話が進んでいた物件が、諸事情で契約できずにまた振り出しに戻ってしまった。かなり条件が良いところだったので若干凹んだが、致し方ないことなので次回に期待する。今回は3つほど。

 

「9/16 今日もお茶漬け、昨日もお茶漬け、一昨日もお茶漬け、その前の日も…。我が家の朝ごはんは、1週間ほど前からなぜかお茶漬けです。毎朝毎朝出されるとさすがにあきてくる…。」

 これに関しては若干覚えている。一時期やたらお茶漬けが我が家の朝食として頻繁に登場していたのだ。1週間も連続で出されたりなんかしたら飽きるのは当たり前である。そもそも提供していた母親は何を考えていたのだろうか。仕事が忙しかったこともあるだろうが、トーストやふりかけご飯を挟む余地はあったのではないだろうか。これはあくまで憶測だが、恐らく私か姉が初日にお茶漬けが出された時に「お茶漬け美味しい。」と言ったのではないだろうか。私の母は「これ美味しい」というと、やたらその料理を大量に作ったり勧めてきたりする傾向があるのだ。良い例がわらび餅である。私はわらび餅が大好物だったのだが、それを知った母が、出かけた先でわらび餅を見かける度に「わらび餅買わなくていいの( ^ω^)?」と頻繁に聞いてくるようになった。姉もふざけて便乗して聞いてくるようになった。聞かれる頻度が尋常じゃなかったため、否応がなしに出掛け先でわらび餅を意識する機会が増え、私は好物を一つ失った。母の前で好物の話をするのは控えたほうがいいのかもしれない。

 

「9/24 今日は風が強かったでーす。さむかったでーす。少し、のどが痛いでーす。」

適当すぎる。

風邪ひいてるし。

たった2行だけでしかもこの有様。他に書くことが微塵も思いつかなかったのが手に取るように分かる。とりあえず語尾を伸ばすことで少しでも字数を稼ぎたかったのだろう、全く功をなしてないが。むしろよく怒られなかったなと感じる。昔の体育会系の教師なら張り手の一発くらい喰らわせてきそうな文章だが、当時の担任だった先生は、若いながらも生徒の目線に立って考えたり、話を聞いてくださる先生だったため、大目に見てくれたのだろう。

 振り返ると、この担任からは一方的に何かを決めつけられたり、理不尽に叱責されたことは一度もなかった気がする。子供だから、という理由で見下されたこともなかった。そしてどんな些細なことであろうとも、くだらないことであろうとも時間を割いて親身に相談に乗ってくださった。それがどれだけすごいことなのか、当時の私は微塵も分かっていなかったのだ。

 先生の偉大さというのは月日を経て初めて分かるもので、哀しいかな、こうして気づいた時にはもうお礼を伝えたくても伝えられない距離と、埋め合わせができないような月日が流れているものである。

 

「9/26 今日、フロに入ったついでに足のムダ毛をシャッシャとそっていました。気がつくと、両足がなぜか流血。ビビった…。どうやらカミソリで切ってしまっていたようです…。こわ…。」

恥の概念が皆無だったのだろうか。

ムダ毛を剃った旨を学校の日記に書く奴などどこを探してもいないだろう。怖いのは貴様のスッカラカンな羞恥心である。「シャッシャッ」などとリズミカルな擬音をつけているのが腹立たしい。中学生といえば所謂思春期という発達段階にいるはずなのだが、そういった時期に抱く特有の恥ずかしさというものをどうやら当時の私は持ち合わせていなかったらしい。これを読んだ先生のコメントが、「髭を剃った時もたまに血が出るよ」みたいな感じだったのだが、足の毛と髭とでは、事情が違うような気がするのだが。無駄な毛という点では同列ではあるが。というか、日記にこんなことを書くなと一発くらい叱ってやってほしい。

 信じられない話だが、先生はこのトンチンカンな日記を褒めてくださったことがある。確か印刷されて毎日のお便りだかなんだかに載せられたような気もする。なにがそんなに良かったのか未だに理由は分からないが、自分の書いた文章を誰かに褒められたり認められたしたのはそれが初めてだった。小学生の時に作文コンクールに出して賞を受賞したこともあったにはあったが、それは受賞するために加筆修正がなされた文章で私の書きたい文章とは違ったのだ。コンクールに出された文章とは比べものにならないくらい、この日記の文章は支離滅裂で訳が分からないことだらけだが、当時の私が書きたい文章であったことには違いない。そこに確かな価値を見つけてくださったのは先生だったのだ。だから私は今もこうして自由気ままに文章を書くことをやめられないのだろう。