マナー知らず

  私はマナーには疎い。かなり疎い。中でも食事の際のマナーにはかなり疎い。メールを送る際のマナーなどはまだ容易い。インターネットで調べ上げ定型文を真似ればあっという間に完成する。インスタントラーメンと同様お手軽だ。「私って敬語使うのうまいなあ」などと誤った勘違いにしばし浸れるため、尚良い。が、食事となると真似るようなものがない。他者を真似ようと言えど、食べているものが違う。ただひたすら戸惑う。プチトマトのヘタって手で取っていいのだろうか。このオレンジの食べ方は…。パスタの巻き方は…。などと毎回思案にくれ、最終的にええいままよと食べ、事なきを得てきた訳ではあるが、つまりはそういった思案にくれるのも面倒だし、何より食事に集中できない。よって、オシャレなイタリアンだとかフランス料理だとか、そういったものよりラーメンやハンバーガーといった特に作法などいらぬお手軽に食べることができるものが好きだ。

  駄文にはなったが、つまり私はあまり細かいことを念頭におきこなすことが得意ではない。よって、私にとってマナーとは

「最低限相手を不快にさせない為のルール」である。

  大学生3年のある日、友人とカフェに行った際にその概念は変貌を遂げた。

  その日、私と友人は互いに好きなゲームのキャラクターとコラボしたカフェに足を運んだ。何やらコーヒーにこっているカフェらしく、ありとあらゆる国からコーヒー豆を輸入しているようだ。注文したのはシナモンコーヒーとクレープだった。シナモンコーヒー。そう、あのシナモンスティックが突き刺さっているコーヒーである。実はその日まで、私はシナモンコーヒーを飲んだことが1度もなかった。東京に住む友人とお茶をした際、彼女がシナモンコーヒーを頼み、「これ、シナモンだ…」とシナモンスティックを見つめていたのを鮮明に覚えている。いやシナモンコーヒーだからそりゃシナモンだろうよ、と素朴な疑問を抱いたのを今でも鮮明に覚えている。

  東京の友人を思い出しながら、運ばれてきたシナモンコーヒーに目をやる。雅な香りが鼻腔に広がる。他愛のない話をしながら、私はおもむろにそれに齧り付いた。それとは。シナモンスティックである。そう、つまりは。私はシナモンスティックは可食だと思っていたのである。私はシナモンスティックに齧り付いた。…おかしい…。そう、噛みきれないのである異常に固い。予想していた食感とは程遠い。これは…。その時、私ははっと気づいた。もしやこれは食べ物ではない…?友人のカップに視線を這わす。彼女のシナモンスティックは運ばれてきた当時と何ら形を変えず、そこに浸っている。無論、おもむろに齧られたあとなど見受けられない。

  友人の顔をチラと伺う。どうやら私がシナモンスティックに齧り付いたことに気づいてないようだ。そっと口を離し、何も無かったかのように友人とまた話に花を咲かせる。が、どうにもこうにもシナモンスティックが気になって仕方ない。本当に不可食なのだろうか。私のがたまたま異常に硬かっただけなのでは?1度気になるとどうにも止まらない。思い切って友人に尋ねた。

「シナモンスティックってさ…食べられない?」

「うん、まあ香り付けだしね。」

か、香り付け…。私の激しい動揺にピンときたらしい友人は「まさか…」と言った表情で私の哀れなシナモンスティックに目をやる。私が逆の立場なら絶交を告げる。絶交とまではいかなくとも距離は置く。香り付けに食らいつくなど、刺身に添えられているバランを食うようなものだ。そんな無作法な輩とは付き合いたくない。自分にはそういった作法など微塵にも身についていないくせに、他者には要求する。身勝手かつ自己中心的な考えではあるが兎にも角にも、私は友人との付き合いに終わりを感じた。が、この友人はなんとも聡明で優しく、尚且つ慈悲深い友人だった。

「まあ今知れて良かったじゃん」アハハと軽く笑って、私を糾弾することなくはたまた距離を置くような言動をするでもなく、引くような表情をすることもなく、なんら変わらぬ態度で接してきたのだ。

「お菓子に見えないことも無いしさ…」

と無難なフォローまで添えてきたのだからもはや聖母である。

  ここで私の中でのマナーに対する概念は変貌を遂げた。先述した「人を不快にさせない」に加え、「分からないなら聞く」である。シンプルである。そう、分からないなら聞けばいいのである。「聞くは一時、聞かぬは一生の恥。」まさにこの通りである。知ったかぶりをし、恥をかくくらいなら素直に無知を晒し正しい知識を得た方が余程いい。マナーに対する概念が更新されたのに加え、ふと、気がついたことが2点。

  1点目は私の周囲には寛容な人間が多い、ということである。こんな我儘で自己中心的、尚且つ無作法な輩である私の周りには聡明で寛容、慈悲深い人間が多い。なんとも不思議な縁である。

  2点目は、東京の友人の「これ、シナモンだ…」発言は、私と同様の事態に陥っていたことを暗に示していたのではないか?ということである。つまり、彼女もシナモンスティックに齧り付いたということである。分かる、分かるよ君の気持ち、と彼女の肩を叩いてやりたい気分である。今すぐにでも共感したい。

  が、「この前一緒にお茶した時、シナモンスティックに齧り付いた?」と唐突且つ野暮なことを聞くことが一番無作法なのではないか?私はそう感じ、文字を打つ手を止めた。