白いアイツ

 久しぶりに子猫の現状について書いていく。口内の手術と去勢手術が無事に終わり、経過も良好で病院通いが終了した。

f:id:Bunbaba:20191105014818j:image(術後の様子)

 仕事帰りに病院に連れて行ってくれた母や姉には本当に頭が上がらないし、適切な処置をしてくださった獣医さんには感謝しても感謝しきれない。

 さて、病院通いから解放されたこの白いチビにはまだ課題が残されている。それは茶色の兄貴との交流を深めること、仲間の一員としてお互いを認め合うことである。母が何度か顔を見せ合ったり、居間で会わせてみたりしていたらしいが、先住猫が威嚇してしまい、白いおチビはしょんぼりして部屋のトイレに隠れてしまったことがあったらしい。白い方は野良生活が長かったこともあり、どうやら猫慣れしているようだが兄貴はなんせ箱入り坊ちゃんであるから、どうにも警戒してしまうらしい。時間かかるかもなぁと思っていたのだが、どうやら最近、2人の距離が縮まってきているようだ。

f:id:Bunbaba:20191105015612j:image(ガン見)

 母の話によると、兄貴が威嚇をしなくなったらしい。かなり大きな一歩である。匂いを嗅ぎあったり鼻をくっつけたりしているらしいので、もうこれは兄弟関係が築けてきているということであろう。

f:id:Bunbaba:20191105020128j:image(ガン見)

 と思っていたのも束の間、どうやら今日、兄貴のテンションがブチ上がり、二階に向かってロケットダッシュ(めっちゃ唐突に猛スピードで走り出すやつ。)をかました後を白いチビが追いかけていったらしいのだが、頂上付近で兄貴が威嚇をしていたらしい。そのまま二匹仲良く遊べばいいのに…とつい思ってしまうのだが、猫には猫なりの事情があるのだろう。仲の良い友人と遊びたいが為に妹を邪魔者扱いする姉がこの世に存在するのと同様に、後ろをチョロつかれると腹立たしい、そんな猫もいるのだろう。気長に見守るとしよう。

観光と物件探し

 ここ数日かなりバタバタしていて全くブログを更新できなかった。色々と要因はあったが、主なそれは物件探しだった。物件探しの前に不動産を探さなければならなかったのだが、これが難題だった。いいなここ、と思って口コミを見ると殆ど星5で大絶賛状態のところで、逆になんだか怪しさを抱いてしまうことが度々あった。(実際に低評価を下している2、3件の口コミにはかなりシビアな実情が書かれていた。)かといって酷評なところも絶対に嫌なわけで、つまり中庸な不動産を選びたかったわけだが、丁度いい真ん中、つまり無難なものを見極めるというのは意外と難しい。3時間くらいかけて不動産選びに頭を悩ませていたわけだが最終的にチェーン店を選び、事なきを得た。

 そしてこの連休中に、母と姉と観光ついでに物件を見に行っていたわけだが、不動産の対応も非常に良くて、かなりとんとん拍子で話が進んだ。まだ確定とはいかないが、大体の目星はついた。今後の流れに左右されそうではあるが、無事に住めることを願うしかない。こればかりはもはや運と縁の領域になる。

 また来月あたりに今度は1人で内見しに行かなければならないので若干の億劫さはあるが楽しみである。(実は再来週にも別件の用事があるので二ヶ月で同県に3回も行くことになるのだ…トホホ…涙)

 あっという間に物件探しが終わり、母と姉と観光したわけだがとても楽しかった。

f:id:Bunbaba:20191105010017j:image(めちゃ旨なあんみつ)
f:id:Bunbaba:20191105010013j:image(ドーナツ)

 約2日かけて様々なところへ行ったので、もはやいつどこに行ったのか定かではないのだが、個人的に印象に残ったのは日暮里だった。普段、東京に遊びに行くときは電車で通過するくらいだったのでこうして立ち寄るのは初めてだった。日暮里は猫で有名な街らしく、猫をモチーフにしたカフェや雑貨屋が所々に立ち並んでいた。下のドーナツは猫のしっぽをモチーフにしたもので、品名が「トラ」とか「ミケ」とか「キキ」とかで大変可愛らしかった。全体的に甘さが丁度よくて小腹が空いた時などにはもってこいの一品だった。上のあんみつはカフェ(名前忘れた)で食べたものだったが、これも美味かった。海外からやってきた人が一生懸命箸を使いながら定食を食べていて、日本の習慣に触れようとしているその姿勢がなんだか非常に嬉しくてつい、この街を好きになっておくれよ…そしてまたこの街に来ておくれよ…と思ってしまった(日暮里の住人ではないが。)

  日暮里以外にも東京ドームシティやら東京大神宮やら銀座、渋谷に行ったわけだがまあ人が多いこと多いこと。特に渋谷。渋谷は度々、姉や友人と遊びに行くことはあるが、いつ行っても人がほんっっっとうに多い。誰も知らないところへ行きたいという願望の強い人はとりあえずあの群衆にまみれて個性の殴り合いを体感してみてはどうだろうか。もはや誰も自分のことなど見ていない、関心など持っていない、だけど存在することは確かに許されているあの不思議な空間だからこそ生き延びれる人は多々いると思う。渋谷に知り合いは1人もいないので実情は知らないが。どうでもいいが、ああいう人がごった返したところへ行くと笑っていいともか、ごきげんようかは忘れたが、その系統でやっていた100人アンケート(1/100ならなんか景品貰えるみたいなやつ。)をやってみたくなる。

 と、まぁ特になんのオチもないただの観光日記になってしまったわけだがこの連休はとても充実していた。帰り際に立ち寄った土産屋で、チョコレートの試食を食べていた子供が「これ駄菓子屋に売ってるやつの味。」と評していた物が今現在冷蔵庫で冷やされている。それを食べるのが待ち遠しい。

あの青春の.8

 今日珍しく自炊をしたのだが、存在価値を失ったカボチャのポタージュが出来上がった。私は具材がほどよく溶けているドロッドロのやつが非常に好みなのでかぼちゃを沢山入れたのだが、不思議なことにさらっさらのポタージュが出来上がった。しかも味が薄いのなんの。慣れないことはするべきではない。

 

今日は2つほど。

「Lare En Ciel-Day Breaks Bell←今日この歌を聴きました。イヤーいい歌だ。平和を願う歌なんですよロックなのに…。『私の命とあなた。心の痛を取りかえられたらいいのに。』という歌詞が入ってて…。あぁー、泣けてくる若いのに、いい歌作るモンだ。」

Lare En Cielって誰

Googleで検索したところ、どうやらL'Arc~en~CielのDAYBREAK'S BELLという曲らしい。超有名アーティストの綴りを間違えるな。歌詞を検索して見てみたら、曲調を思い出せた。当時狂ったように太鼓の達人をやっていたのだが、確かこの曲も入っていた気がする。恐らくその経緯で曲を知り、友達の家かどこかでfullバージョンを聴いたのだろう。これ以外にも細かな突っ込みを入れたいが、そんなことよりも、だ。

「『私の命とあなた。心の痛を取りかえられたらいいのに。』という歌詞が入ってて…。あぁー、泣けてくる」

そんな歌詞なかったけど?????????

何度歌詞を見返しても上記の歌詞が入っていない。泣けてくる、とは書いているがそもそも存在すらしていない歌詞で泣くなんて妄言の度が過ぎている。しかも『心の痛』ってなんなんだ。送り仮名が欠けているから必然的に「心のツウ」となるが。整骨院で治せる痛みのような印象を受ける。「心の痛」より頭を取りかえるべきだ。

 …これはもしや自作のポエムなのだろうか。もしくは歌詞を思い出せなくて適当に書いたのだろうか。正直どちらでもいいが、当時の自分のいい加減さが滲み出ている日記だった。

 

「9/14 今日はホタテのコロッケを食べました。マカロニも入っててめちゃくちゃ美味しかったです。姉のを奪ってやろうとしたら激怒され『食い意地張ってんだから』と言われ『張ってんのはあんたの腹だ』と言ったらまた激怒されました。」

当たり前である。

むしろよく殴られずにすんだなと思う。中1にもなって人のものを奪って食べようとしていたという事実が非常に哀しい。が、兄妹や姉妹同士でお菓子やおかず、食べ物に限らずぬいぐるみやゲームを取り合うことって割と一般的な現象なのではないだろうか。(むしろそうであってほしい)

 我が家の場合、上記のコロッケのように本人の目の前で食べようとするのは非常に珍しい。どちらかというと、相手がいない隙をついて食べることの方が多かった気がする。大抵、次女(日記に毎回出てくる姉。コロッケの持ち主。)はなんだかんだいって非常に優しかったので、食べた事実がバレてもこっぴどく説教されることはなかった(友人から貰ったものなどは除いて。)むしろ、こちらが強請る前に自ら分けてくれることも時々あった。私から分けることは一度もなかったが。本当に非情な妹である。

 が、長女は違った。長女のお菓子をこっそり食べようものなら富士噴火といっても過言ではないくらい烈火の如く叱られた。その怖さたるや地獄の閻魔と互角である。長女に叱られたきっかけは割と沢山覚えているが、説教の内容は一切覚えていないので怖すぎて失神していた可能性はある。それなら食うなよと思うが、喉元過ぎればなんとやら。つまり学習能力がなかったのだ。

 今現在は、帰省などで顔を合わせてもおかずを争うこともお互い持っているものを奪うことも無くなった。成長したからと言えばそれでお終いだが、自分の欲しいものは自分の稼いだ金で買うようになったのが大きいのではないかと考える。こう書くと、自分も大人になったのだなと感じる。学費も生活費も親任せで、担っているのは自分の交際費くらいなので、半大人状態ではあるが、社会人になったら全て自分の力でやりくりしなければならない。まだ親の脛を齧っていたいなぁと思う反面、自分の生活を自力で作り上げることにも若干の楽しみを感じる。

あの青春の.7

 卒論の締め切りまで早二か月を切った。私のやっている研究は質的研究といって、例えば大量のデータを取って統計を取り、数的な結果を元に考察を挙げるのが一般的な手法である量的研究とは真逆のものである。量的な研究に比べ、方法も分析の仕方も自由度が高い(ほぼ自己流に近い。フリースタイル。うちのゼミだけかもしれないが。)

 無事に書き終えられるのかかなり不安だが、沢山の人々から協力してもらったので僅かな恩返しとして頑張りたい。

今回は3つ。

「 8/30 今日はAさんと1時間くらい二人で自主レンをやりました。二人だけだったけど自主レンやって良かったです。今日久しぶりにBさんと電話で話しました。少し、Bさんと深い話をしました。うーん、人って…。

  一応名前は伏せてアルファベッド表記にした。自主練をやっていた旨が書かれていることに非常に驚いた。自主練をやるほどの熱意はあったらしい。自分のことながら、なんだか非常に意外だった。

 日記には深い話…とか人間て…とか書いてあるが、たかが13年、生温かい環境で庇護され何一つ不自由なく過ごしていて何をほざいているのだろうかこの娘は。ちなみにBとは家が非常に近い。近いのに加え、そもそも同じ中学校に通っているのだから何もわざわざ電話で金をかけて話すなよという気持ちにはなるが、この頃はスマートフォンも無かったし、ガラケーを持っている友人など1人もいなかった。通信手段が電話しかなかったため、非常にくだらない内容でもやたら家の電話を使って話す人間が多かった。姉ももちろんそのうちの一人である。

 恐らく、今の小中学生は家の電話で連絡を取り合うことなど殆どしていないのだろう、時代の流れとは言え、なんだか寂しいような感じもする。友人の家族が電話に出た時の一瞬の気まずさや、突然友人から電話がかかってきた時のあの妙な嬉しさやら高揚感、家族からかけられる「〇〇ちゃんから電話だよ」の言葉には、表しきれない程の醍醐味がある。

 

「9/1 今日は姉に勉強を教えてもらいましたが、分からないところがあると「何で分かんないの!!」と怒鳴られました。ます×2分かんなくなりました。モオーッ。なんだか筋肉痛にひびきそうです。」

 また懲りずに姉から勉強を教えてもらっているようだが、一切記憶にはない。か弱い妹相手に怒鳴るなんて星一徹も驚きの厳しさだなとは感じるが、何度教えても理解されない歯痒さや苛立ちは、今なら痛いくらい分かる。

 そんなことよりも、「ますます」を「ます×2」と書いているのが非常に気になる。友人と文通をしているようなノリで書いていたのだろうか。非常に懐かしいのだが、当時の文通にはお決まりの省略した言葉「H.K(話変わるけど)」があった。他にももっと沢山あったはずなのだが、H.Kしか覚えていない。中学生の時はやたら便箋とか封筒にお金をかけていた記憶が強い。これも時代の流れだったのだろうか。やり取りした手紙は殆ど処分してしまったため、手元に残っていない。捨てずに取っておくべきだったなと若干後悔を抱いている。到底ネタにはできないだろうが。

 

「9/7 今日は給食におかかが出ました。メチャクチャ美味しかったです。なんでおかかっておかかって言うんでしょうか。おかかおかかおかかおかかおかか…。おかかっていいなぁ。でもこん布が一番好きだなあ。次に、アイス。

1番は昆布なのかよ。

 文章がメチャクチャすぎる。おにぎりの具の話でなぜアイスが出てくるのか。それとも我が家ではおにぎりの具としてアイスを入れていたのだろうか。

 ちなみに言うと今現在は別に昆布は好きでも嫌いでもない。おかかは確かに好きだが。当時の私は本当に昆布が好きだったのだろうか。若干の疑いはあるが味覚も歳を重ねるごとに変わっていくものなのでまぁ事実なのだろう。

 こうやって時を重ねるごとに嗜好というものは変わっていく。人間関係だろうが物だろうが趣味だろうが、当時は好きだったけれど今は全く興味がないとか、嫌悪感すら抱くことなどザラにある。そういった取捨選択で人生は作られていくのだ。もちろん、捨ててきたものや諦めてきたものに関して罪悪感だとか劣等感を抱く必要など微塵もない。人間は今この瞬間しか生きられないのだから。

 おにぎりの具を切り口に人生を説こうとしているあたり、その軽率さたるや、やはり私は昔と何も変わっていない。何も変わっていないのならもう一度昆布を愛せるような気がする。明日の昼は昆布おにぎりにしよう。

あの青春の.6

 今回は3つほど。日記の内容は7月~8月だが今現在は木枯らしが吹き、自動販売機には温かい飲み物が並ぶような季節なので妙な感覚になる。

「7月7日 今日は、誕生日だったのに3、4時間目に腹が痛くなって保健室でねていました。原因は腹の冷やしすぎでした。やはり腹を出してねては、だめですね。唯一、よかったのはケーキを食べれたことだったなあ…。

腹を出して寝るな。それを日記に書くな。

 しかもちゃっかりケーキを食べているのが腹立たしい。安静にしていろと一喝してやりたい。偶然なのかもしれないが、中学生~高校生の間、私は自分の誕生日に限って体調を崩すという謎の習慣?があった。季節の変わり目だったからだろうか、それとも腹を出して寝る癖がなかなか直らなかったからだろうか。ちなみにいうと、大学生になってから今現在まで、高熱を出したり病院に行かなければならないくらい体調を崩したことは殆どないのに加え、昔みたいに誕生日に腹を壊すことなど一度もなかったので成長したといえる。

 

「7月13日 今日は夏祭りがありました。とにかく友達といっぱい遊んだりできたのでとてもよかったです。公衆電話で母に電話していたら目に蛾が入ってきました。苦戦しながらも2分後ようやく目から蛾がとんでいきました。」

目に蛾???????

夢の中の話じゃなくて?????????

 当時の私は現実と夢の区別がついていなかったのだろうか。目よりも頭が心配である。しかも2分も目に蛾が入っていたら病院案件だと思うのだが。だが、昔の私が嘘をついていたとは思いたくないし、私を信じてやれるのは私しかいないのだ。つまり目に蛾が入ったのは事実である(おそらく)。

 私の住んでいた地域はド田舎ではあったが夏には小さいながらも祭りが行われていた。規模は小さかったが、出店はそれなりに出ていたので割かし楽しめたのだ。小学生の時などはキラキラしたおもちゃのネックレスだとか雑貨に心を奪われ、すぐにお金を使い切ってしまったような気がするが、中学生になってからはそういった物には微塵にも興味を抱かなくなり、俄然食べ物に目が向くようになったのだから成長というのはなんだか可笑しくもあり、切ないものである。

 気づいた人もいるかもしれないが誤字が段々無くなってきている。目に蛾が入ったことよりも正確な漢字を書けていることの方が驚きである。しかも「蛾」という若干難しい漢字もしっかりと書けている。このあたりから読んでいても苦痛ではないレベルの字(4月あたりはほぼ殴り書きだった)になっているので、それも嬉しい。自分の成長をこうして感じられるのは非常に楽しいものである。

 

「8月26日 最近、よく体や頭をぶつけます。昨日はトイレに頭をぶつけました。今日は机と家のテーブルに。痛すぎる。特にトイレ(ものをかけるところ)にぶつけた時は舌まで噛みそうになりました。」

行動レベルでは成長していないようである。そもそもトイレに頭をぶつけるってなに???

 バッグをかけるところは通常、扉や壁についている場合が多いと思うのだが、私はどうやってその部分に頭をぶつけたのだろうか。部活が嫌すぎて自ら頭突きでもしていたのだろうか。これに限っては微塵も記憶がないので何とも言えないのだが、頭をぶつけすぎて今のポンコツな私ができあがったとするのなら、まあつじつまは合うので、嘘ではないだろう。

 いつか詳細は書くが、高校生の時に友人とスケートにいった際に私は派手にすっころんで頭を強打したのでこれ以上ぶつけたらポンコツでは済まないような気がする。今後も頭をぶつけないように細心の注意を払って生きていきたい。

あの青春の.5

 卒論中間発表が無事に終わり、心身共に解放され気分上々である。今回は二つほど。

「6/22 今日は音楽の時間に、文化祭で歌うものが決まりました。曲は少年時代です。うーん、深い!!ノリや曲の意味は全然あってないけど、歌いやすくていい。

井上陽水に謝れ。

 音楽のことなどサッパリ理解してないのが「深い!!」という単調で勢いありきの表現に現れている。私は分かっていますよ風を装うために、「うーん」などと吟味している様子を紙面上にわざわざ書いているのも腹が立つ。不快なのは貴様の知ったかぶりだよと一発こづいてやりたい気持ちでいっぱいになった。

 ちなみに我が母校には合唱部は存在していなかった。そのため、合唱練習の時に指示したりだとか全面的に引っ張ってくれる存在がいなかったのだ。当時の私たちのクラスは糞に糞を塗りたくったような肥溜みたいなクラスだったので、音楽の教師の言うことなど聞かずに、もはや我流で全員歌っていたような気がする。まさにフリースタイル。ソプラノ、アルト、テノールに分かれて歌ってはいたが、ハモリもヘッタクレもなかったような気すらする。

 あまり母校を悪くいうのは気が引けるが、哀しいかな、田舎ならではのド底辺中学校、知識も教養も兼ね備えていないアッパラパーな輩が非常に多かったのだ。もちろんそうではない人間もいた。が、アッパラパーの比率が高すぎたのだ。当時の私は無論アッパラパー側だったため相当この中学校での生活は気楽だったのだろう、日記からもそれが垣間見えるのだから嬉しいやら哀しいやらで複雑な気持ちになる。

 

「6/25 今日は姉とテスト勉強を共にしました。分からないところを聞くと、分かるまで教えてくれるのはありがたいのですが、『見て!虫が死にそうだよ!!ホラ見て!!』としつこく言ってきた時は、正直、いやでした。」

姉も大概である。というか我が家の虫の出没率が異常である。

 虫の瀕死状態を見ろとしつこく促す姉がどこにいるのだろうか。もはや嫌がらせである。勉強に集中をしろ。

 高校生の時も休日に実家に帰ってきた瞬間、拷問シーンを見ろ!!!!

としつこく喚かれ、頭を無理やり固定された状態でアニメの拷問シーンを観せられたことがある。もはや意味が分からない。

 今現在はこんなことは殆どないのだが、年に一度ほど、たがが外れたように意味不明なことで姉にしつこくされることがある。彼女のストレスの捌け口がそこしかないのならまあ致し方ないが、嫌がらせや気まぐれの要領でやっているのならやめてほしい。

 こうして振り返ると本当に色んなこと(8割くだらないが。)が起きていたのだなぁと感じる。約7.8年前の話なのでもはや記憶に残っていないのが殆どではあるが、今現在の自分と比較できるのでそれもまた楽しい。私の内面で変わったことなどは当時と比較してもほぼ無いが。

湿布

  実はあと1時間後に卒論の中間発表がある。発表スタイルはパワーポイントを使いながら作成したレジュメに沿って、教授とその他の生徒を前に説明していく感じなのだが、なんとまあ制限時間が10分なのだ。実際に一度通しで発表してみたところ、余裕で10分を超えてしまったため、スライドの修正をして時間を計りながら練習していたのだが、私の声はそこそこ大きくしかも調節が効かないポンコツ声帯なので隣人から苦情がくるまえに辞めた。うまくいくことを祈っていてほしい。

 今回のブログは毎日の記録シリーズのうちに入るが、今現在私は大学にいて手元に日記が無いため記憶を手繰り寄せて書く。そんなことより発表練習しろよと言われそうだが、なんだかもういいかな(何も良くないが。)という気分なので書く。

 今現在もだが私は昔から非常に肩や首が凝りやすい。恐らく、姿勢の悪さが最大の原因ではあるが長年の積み重ねで作られた癖をそう簡単に治すことはできない。

 中学生の時、あまりにも首が痛すぎて湿布を貼って登校をしたことがあった。普段眠くて仕方ないくせに、その日だけは湿布の強烈な匂いが鼻腔を刺激し、脳みそが覚醒していたような覚えがある。たしかその頃、文化祭の催しの一つである「全校合唱」の為に、授業を一つ費やして全学年合同で合唱練習をしていた時期だった。

 真面目に歌うのが格好悪いと思春期特有の勘違いをし、だからといって不良にもなり切れない中途半端で愚鈍な輩が悪目立ちするあの合唱練習である。こういう時に限って、絆がだとか団結力が、とか垂れる奴らがいるが、そんな一時の為だけに培われた絆なんて砂で作った城より脆いもので、卒業式の時も成人式の時も全員揃わなかったことがそれを明確に表している。

 そんなことはさておき、湿布を首につけた状態で合唱練習へと向かったわけであるが、歌い終ってステージを降り、音楽の先生の評価をアホ面下げて聞いている最中、ふと手を首のあたりに伸ばした瞬間、私は焦った。湿布がないのである。

 私は思考をフル回転させた。朝から貼りっぱなしだったため、たしかに若干粘着力は落ちていたような気もする。もしや制服とシャツの間に張り付いてしまったのかと背中やら腹部を探ってみたが無い。どこにも無い。

 ここまでくると、そもそも朝に湿布を貼ったのは幻だったのだろうか…という気すらしてくる。そもそも湿布を落としたくらいでは誰も困らない。財布を落としたのに比べたら精神的ダメージなどほぼ皆無だ。最初は焦っていたものの段々どうでも良くなり、湿布もどこかで元気にやってるさと呑気な思考に変わった。

  我が中学校の合唱練習は、何度も何度も何度も馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返し歌うことが基本的な練習スタイルだったので、しつこさでいったら怪しい宗教勧誘のそれと良い勝負である。歌詞が思考を侵食し、もう湿布のことなど頭の片隅にすらない。

 チャイムが鳴り、合唱練習が終わった。体育館から出ようと歩いていた最中、ピアノを片付けようとしていた教師が何かに足を滑らせていたのが視界にふと入った。何か落ちていたのだろうか、とボンヤリと見ていたのだが、教師がそれをつまみ上げた瞬間、私は自分の目を疑った。なんで体育館に湿布???

 不意打ちのおかしさに、隣を歩いていた友達に伝えようとした瞬間、私の脳は電光石火の如く閃いた。

それ私のだ(  ˙-˙  )

  つまり教師が転けたのは私の湿布が原因だったのだ。先程まで自分の首に貼ってあった湿布が、まさかバナナの皮ような役割を果たすなど夢にも思わなかった。

 滑った教師が怒って湿布の持ち主を探そうとするのではないかと内心ヒヤヒヤしながら教師の動向を注意深く見つめた。仮に犯人探しをされたところで、クタクタな湿布の持ち主として名乗り上げるつもりなど毛頭無かったが。

 その後、特に教師は犯人を探すわけでもなく淡々とゴミ箱に捨てていたので私は非常にホッとした。何より、教師が怪我をしなかったことが本当に良かった。転んだ拍子に頭を派手にぶつけられたりなんかしたら、罪悪感に苛まれて晩ご飯の後のデザートがお腹に入らない。

 ちなみに私は中学卒業以降、湿布は貼らないようにしている。また誰かが私の湿布の餌食になってしまうのが怖いから……ではなく、単純に湿布を剥がすときが非常に痛いのと皮膚が赤くなってしまうからだ。

 だが最近、肩や首の痛みが徐々に悪化してきている。誰か安価で剥がしやすい湿布を教えてほしい。